門真市の歴史

門真市の歴史は、約3,500年前に人が住むようになってから始まりました。平成元年に行われた西三荘遺跡の発掘調査で縄文時代後期の土器が発掘されています。また、大和田遺跡で弥生時代の銅鐸3個、三ツ島遺跡で全長10メートル越えの巨大な「くり船」が発見され、門真市周辺が昔から発達していたことが分かっています。

平安時代後期から鎌倉時代、平安時代にかけて湿地帯の開拓が進みました。京都や大阪に近い重要拠点とみなされた門真市域は市内の約8割が天領となりました。江戸時代には菜種、木綿の栽培で発展を遂げ、蓮根の栽培も活発に行われるようになりました。この蓮根栽培は大正期に最盛期を迎え、「河内蓮根」の名で全国に知れ渡るようになりました。

明治22年の町村制施行で門真村になると、同43年に京阪電車が開通し、門真は産業面での発展を遂げるようになりました。昭和38年に人口66,582人で市制を施行、その後門真市は人口が急増し、1990年には14万人を超えるまでになりました。その後門真市の人口は減少し他の地域と同様にさまざまな都市問題に直面することになりましたが、現在は特に子育て世代が働きやすく住みやすいまちづくりに取り組んでいます。